ヲタ録

ハロヲタ歴約20年。世間の片隅で生きています。

『古事記』を読み解く

日本には、古より伝わる『古事記』と『日本書紀』という書物がある
その違いは、『日本書紀』は書式が漢文体で書かれ、編年体によって編纂されている
一方、『古事記』は紀伝体をとり、大和言葉で書かれている
このことからいえるのは、『日本書紀』は主に当時の中国などといった対外的につくられた歴史書で、一方で、『古事記』はいわば対内的に書かれたものであるといえる

では、『古事記』の中身をみていこう
一字一句の正確な語句の解釈は大学の講義に譲るとして、ここでは『古事記』編纂の本当の目的を探ってみたい

まず、伊邪那岐命が黄泉の国から帰り、小戸の阿波岐原で禊をしている場面
左の目を洗うと天照皇大神
右の目を洗うと月読命
そして、鼻を洗うとスサノオ命がお生まれになった
この後、天照皇大神は日の神、月読命は夜を治め、スサノオ命は海を支配なされた
このことから天照皇大神スサノオ命の対比は「天地」を連想させる

次に、天の岩屋戸神話をみていく
これは、スサノオ命が高天原で母のいる黄泉の国に帰りたいと大騒ぎをし、
その上、乱暴狼藉を働き、
(その内容は、神前でうんこをしたり、牛だか馬の皮を剥いだり、そして、手伝いの女郎をも殺してしまったりといったものだった)
その為に、アマテラスは心を痛め、天の岩屋戸にお隠れになってしまわれた
すると、世は暗くなり、八百万の神々は「どうしたらいいものか」考え込んでしまった
そこで、いろいろと計り、
天の岩屋戸の前に皆集まって、ドンチャン騒ぎの宴会を始めた
アメノウズメという神が皆の前でストリップショーを披露した
外が余りに騒がしいので「何事ぞ」とアマテラスは岩戸を少し開けてみた
そうしたら、ある神が「余りに美しい神がおられるので皆で祝っているのです」と声を掛けた
アマテラスは更に気になったのでもっと岩戸を開けた
そうして、実際には鏡に映った自分の姿であったのに、
それを見ようと身を乗り出したところを天手力男命にグッと腕を引き寄せられ、
天の岩戸はそのまま信州戸隠まで飛ばされてしまった
事件が無事に一件落着した後、
スサノオは罰として爪を剥がされ、黄泉の国の神として高天原を追放された

このような物語が綴られている『古事記』であるが、
私が『古事記』の一節を引用して今回の「東日本大震災」について述べたいことは、
古事記』というものは、
ノストラダムスの大予言といった「予言書」の類でも、また芸術作品の裏読み的な”隠れたメッセージを見る”見方を要求したものでもなく、
素直に物語は物語として読むということだ
すなわち、冒頭で触れたように、対内的な記録書という位置づけは、
子孫達が道に迷った時、アイデンティティーを見失った時、国家の進むべき道とは何かを考えるに至った時…etc、この国の将来を担う子達のために、祖先の遺訓、国の生い立ち、そして日本人の原点等、そういったものを指し示すことで、自らを励まし、笑い、安心させ、明日への活力を生む助けとなる、そんな拠り所としてこの書物の真の意義があるように思える

昭憲皇太后御歌:
人はただすなほならなむ呉竹の世にたちこえむふしはなくとも
(まず第一に心は素直であることが大切です)
神社という存在もこれに近いといえる
神道には教義・教典がない
色というものがないのだ!
ただ単にお祭りをやっている
その姿は、天の岩屋戸神話で、真っ暗になった世界を八百万の神々が
なんとかして直そうと同じ目標に向かって、和して協力し合う遺志のひとつの表れであるともいえる
アメノウズメの登場からモー娘。ヲタとして芸能も大切ですよ、と言いたいところだけど、
もっと大切な真の意味はここにあると思う

まさに今は真っ暗になった状態。。(心も電気も・・・)
実際この震災で皆大変だけれど、
ひとつになって力を合わせれば、どんな困難でも乗り越えられるんだということを『古事記』の一節は指し示している!
結局、みんな子供が可愛いんだよw 国の将来が気になるんだね!
編纂した先人達の思い(愛情)を汲む意味でも、今回の災厄から立ち直らなければならないと思う
そういったところに、やはり日本人のDNAが持つ「強い祈りの力」というものの根源があるのではないか?
頑張れ! 神の子・日本人へ